もっと満足のいく、自分らしい生活を

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生活をややこしくするように生まれついていない人は、私の知る限りでは誰もいません。先ほどの夫婦はともに、人生のある日あるときに、何かドラマチックな記念すべききっかけを見つけたのかもしれません。ただ、そこまでに至るには少しずつの積み重ねを、長い年月を、決心に継ぐ決心を必要としたことでしょう。生まれながらにそこに到達したのではないのです。実際、人が生まれたときはとても単純な生活です。食べて寝て、雨風をしのげて、かわいがってもらいさえすれば、あとは何も必要としません。あとのことは、年齢を重ねるにつれてだんだん増えていきます。新しい世紀に近づいた今、「あとのこと」がいろいろありすぎて想像もつかないくらいです。私が生活を簡単にしようと真剣に思いはじめたのは、自分が生活をややこしくする名人であることに気づいたからです。私は早いうちから―学校でも、ショッピングセンターでも、テレビの前でも―たくさんのものを持ち、たくさんのことをやり、たくさんのことを期待して、人生のある場所、ある段階から別の場所へとたくさんのものを引きずってまわるようになりました。すっかり大人になった今では、仕事も持ちものも年々増える一方です。そんな人は私だけではないでしょう。いろいろな人と生活の話をするうちに、私の同類は多いんだな、と納得しました。問題は、多くのものに囲まれ、することがたくさんあるからといって幸せになれるとは限らないということです。

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最近、ある人がスピーチの中で、人びとが一番ほしがっているものは何かという話をしました。「それは、できるだけ多くのいいものだそうです。私は何となく淋しい気持ちになりました。できるだけ多くがこの社会の風土になってしまっているのです」と彼はいいました。風土とは「その土地特有の」とか「そこに浸透しているもの」という意味です。しかし、この場合は「流行病」といったほうが近いのではないでしょうか。浸透どころか蔓延し、しかも伝染するのですから。実際、ハイテク化されたこの世の中では、もっと簡単な生活を思い描くことすら困難です。今の時代は前例がないほどものを消費し、どうやらその機会も切りがありません。数十年前は夢にも思わなかったような膨大な情報が世界中から日々押し寄せます。地球の裏側にも二十四時間とかからずに旅行できます。衛星や電話、ファックス、インターネットのお陰で、どこの誰とでも(宇宙を含めて)すぐに会話ができます。家にいながらショッピングもビジネスも、大きな金融取引きも個人的な資金繰りも、ディナーの予約もできます。そういう便利な代物は、望めば全部手に入るだけでなく(もちろん、それなりのお金はかかりますが)、今日では、人一倍優秀なコピーライターが考えた、それがないと困ると思わせるような宣伝文句までついているのです。私たちの多くが圧倒されるのも無理のない話です。